方丈記に、似た運命
— 懐かしい古典が、今、蘇る —
ママ友を作る難しさ①
※毎回書きますが、ママ友は便宜上の書き方です。
僕にとってママ友は、単なるご近所さんです。
今回は、ママ友を作る難しさをテーマに書きたいと思います。
小さい頃を思い出してみると、僕もそんなに多い方じゃないですが友達がいました。
小中高大学とどの時代でも、何人かは友達と呼べる存在がいたと思います。
多分、友達がゼロという人は滅多にいないんじゃないでしょうか。
で、何となくですけど、「友達=学生時代に出会った人」と思っていないでしょうか?
例えば、会社で出会った人を「友達」ということはまずないと思うんですね。
たいていの場合、会社で出会った人は、
- 会社の上司、部下
- 会社の先輩・後輩
- 会社の同僚
といった言い方をするのが一般的だと思います。
どんなに仲の良い同僚でもそれは同僚であって友達ではない。
で、ここには、何となくですけど、社会に出ると「友達」を卒業するという意識も働いているのかもしれません。
つまり、友達関係は学生までというのがあるのではないかと。
もしかしたら、田舎の方だと小学校からずーっと一緒で会社まで同じの場合、この場合だと「友達」という意識がリセットされないままに「友達」が続いている場合もあるかもしれません。
また、僕たちは、これまた何となく「大人になってからは友達はできない」という意識もあると思うんです。
僕なんかは、基本的にこういう考え方です。
こういうのもあって、大人になると、社会に出ると、無意識に子ども時代の「友達」から遠ざかっていくのかもしれません。
あと、上に書いた「会社の上司、部下」「会社の先輩・後輩」「会社の同僚」という表現は、客観的で正しい表現ですよね。
例えば、上司に対して「あなたは私の上司ですよね?」と聞いてみてください。
間違いなく「はい」とか「上司です」という返事が返ってきます。
「いいえ。私は、あなたの部下です」という上司はいません。
つまり、客観的で正しいがゆえに相手に確認を取らなくても分かるわけです。
ところが、友達の場合はどうでしょう。
友達かどうかは主観的な要素が大きいんです。
自分は友達だと思っていても、相手はそう思っていない場合もあります。
このあたりも、大人になると「友達」という表現を避ける(しかも無意識に)一つの要因ではないでしょうか。
色々と書きましたが、大人になると「友達」という表現がそぐわないというまさに大人の事情があるんだと思います。
次に、友達の作り方について学生時代と社会人で見てみたいと思います。
あくまでも僕の独断と偏見ですが。
例えば、学生時代の場合、学校にいる間はずーっと同じ者が周囲にいます。
つまり自分を囲むメンバーがいつも同じ。
だから、友達になったらずーっと友達と一緒ということも十分ありえます。
むしろ、仲の良い子がどうしが集まるというのが自然です。
これが学生時代の友達です。
つまり、時間をかけてどんどん仲良くなるというパターン。
次に、会社の場合も見てみます。
労働基準法上は一日八時間、一週四十時間と定められていて、たいていの会社はこれに従っています。
工場とかで二交代制だと一日十二時間とかもあったりしますが。
いずれにしても、会社にいる間はずーっと同じメンバーと仕事をすることになる。
つまり、この点においては学生時代と同じなんです。
ずーっと同じメンバーに囲まれているわけです。
つまり、僕たちは、小さい頃から大人になっても長い時間一緒にいることで誰かと仲良くなるわけです。
つまり、時間をかけて友達を作るわけです。
あるいは、友達関係にならなくても、時間をかけている分だけうまく折り合いをつけることができるわけです。
自然にそういうスタイルを身に付けているわけです。
ところが、ママ友の場合はどうでしょうか。
こういう時間をかけて友達を作るというやり方が、ママ友を作る上でも適用できるでしょうか。
例えば、ママ友の場合だと、幼稚園・保育園の送り迎えなんかはわずかの時間です。
そこで、ゆっくりおしゃべりする時間はないですよ。
(実際は、ある場合もありましたが)
また、園庭開放で他のママ友と話すと言っても、せいぜい一時間程度。
例えば、生活発表会の準備とか奉仕作業で顔を合わせても、これまた一時間程度。
つまり、時間をかけて友達を作るという今までのやり方が通用しないんです。
また、ママ友にはママ友の特別な事情もあります。
一つは、女性が中心の集団と言うことです。
僕が思いつく範囲で、ここまで女性しかいないという集団も少ないんじゃないでしょうか。
探せば女子校とかナースとか他にもあるだろうけど。
それで、女には女の世界があって、ちょっとした難しさがあるらしい。
いや、僕は男なので知りませよ。
でも、僕の妻に言わせたら、「女の敵は女」だそうですが。
単に僕の妻の場合は、周囲が敵だらけなのかもしれませんが。
ちなみに、僕はママ友と一緒に園庭開放にも参加しています。
すごくないですか?
といっても子どもたちを相手に遊んでいるので、ママ友とはほとんど話をしませんが。
ていうか、いつも木陰で楽しそうに話しているだけだし。
ごめん、いつもとは言わないけど。。。
で、もう一つママ友には特別な事情があって、それは、
「子どもがいなければ、出会わない人たち」
ということ。
確かにそうなんですよ。
子どもを介しての繋がりなんですよ。
子どもがいなければ、恐らく出会うことがない人たちの集まり。
ママ友との関係は、直接的とか一次的じゃなくて、間接的とか二次的な関係なんですね。
ただ、このあたりは本当に難しいと思うんですよ。
そもそも、今までの人生で、僕たちは誰かを介して出会うという経験をしているでしょうか。
全くゼロではないと思いますが、割合としては少ないと思うんですね。
いくつか例を挙げると次のようなのがあるでしょう。
例えば、友達を介して別の友達を紹介してもらって、そのまま別の友達とも仲良くなるというパターンもあるでしょう。
あるいは、友達を介して彼氏を紹介してもらうということもあるでしょう。
今では少ないですが、仲人を介して結婚相手を紹介してもらうというのもあります。
例えばですね、Aさんを介してBさんと知り合ったとしましょう。
で、とりあえずBさんと良好な関係を築きたいと考える。
この時に、仲介してくれたAさんのことを考えるでしょうか。
多分、考えないと思うんですね。
あくまでも、自分とBさん、あるいは、自分がどう思うかが大事じゃないでしょうか。
つまり、私が一番、私ファーストなんですね。
しかしですね、子どもを介してママ友と知り合った場合に、私とママ友との関係を考えた場合に、この考え方が同じように適用できるでしょうか。
これね、同じように適用することは難しいと思います。
私とママ友との関係を考える上で、子どもは関係ないですね。
だからと言って、子どもの存在を無視することはできないでしょう。
このあたりにも、子どもを介したママ友との関係の難しさがあるんじゃないでしょうか。
つまり、自分のことを優先したいと思いながら、子どものことを考えるとそれができない場面がある。
あるいは、子どもを優先しないといけないと思いながら、自分とママ友の関係を考えていたら、自分のことばかり考えてしまって子どもに申し訳ないなと思ったりする。
こういうことは、案外あると思います。
色々と書きましたが、こういったことがママ友を作ることの難しさになっているように思います。
そして、ママ友の作り方については正解がないように思います。
あるいは、ある人にとっては正解でも、自分にとっては正解でない場合もあるわけです。
例えば、自分の母親に聞いてみて、自分の母親と同じように(あるいは参考にして)、ママ友との関係を築こうと思っても、ずーっと先祖代々の土地に住んできた自分の母親を取り巻く環境と、田舎から都会へ移り住んだママを取り巻く環境とでは、やはりママ友との関係は異なりますね。
小さい頃からご近所さん全てが知り合いに囲まれてきた自分の母親と、都会で生活したり、あるいはふもとの町に出てきた自分とでは環境は違いますよね。
その意味では、今のママたちが、ママ友について悩むのはごく自然のように思います。
みなさんは、どう思われるでしょうか。
今回はこの辺で。