方丈記に、似た運命

— 懐かしい古典が、今、蘇る —

島岡吉郎~明治大学野球部御大


今回は、島岡吉郎さんについて。
この方はプロ野球ではなく大学野球で明治大学の野球部監督として活躍した方。
正直、知名度は下がるが面白い(恐ろしい)エピソードが満載な方。
ほとんどのネタはWikipediaから。

●経歴
中学2年の1学期、物理の試験が100点満点中8点だった咎を受け、教室内で指し棒により複数回顔を殴られたことに腹を立て、物理学教師を複数回殴り、退学処分。
旧制東京中に転校したが2年の3学期、音楽の授業で音痴を矯正しようと授業中「ゴンドラの唄」を1人特訓させられた事に耐えられず、音楽教師の額をピアノに複数回叩きつけ、退学処分。
荏原中に転校したが、転校早々、依怙贔屓の過ぎる英語教師に直訴したところ、黒板消しで顔を叩かれた事に腹を立てて英語教師の顔を複数回殴り、退学処分。
東京植民貿易中に転校。近隣校の上級生との喧嘩に勝った勢いで子分2名が窓ガラス数十枚を割り、退学処分。
人生でこんなに退学することがあるのか。。。

●口癖は「何とかせい」
キャプテンが指揮を任されることが多かったために、明大野球部主将は学生野球の中でも一目置かれる存在であったらしいけど、「何とかせい」って言われても。。。

●リーグ戦では一回たりとも負けることは許されない。
敗戦すればベンチ裏や合宿所にてレギュラー選手を対象に鉄拳制裁することが多く、選手は「5発、10発、15発、”脳天が痺れるような”御大の鉄拳が飛んでくる」と腹を括っていた。
落合博満が最も嫌うタイプですね。

●記者泣かせの監督
短気な性格から、エラーをした選手、打てなかった選手はすぐ交替させた。
その為スコアブックが一杯になってしまうので「記者泣かせの監督」と呼ばれる。
選手はもっと泣いているはず。。。

●勝負に非情な性格
スクイズ成功で得点後、実は打者の指にボールが当たっており、本来はストライク判定で打ち直し(無得点)であった事実が主審に気づかれていないと分かると、「手当をしないで一塁上に戻れ。それから次の守備にいったん付け。『練習のゴロで突き指した』と言ってそこで交代するんだ」と、右人差し指が折れ血が吹き出し、骨が出ている選手を塁上に戻し、この1点で勝利した事もある。
これを「勝負に非情な性格」で片付けていいのか。。。

●人間力
明治―法政の試合で、法政の4番田淵幸一・5番山本浩二を迎えた星野仙一投手に向けて、「いいか星野、ここまで来れば技術の問題じゃないんだ。お前と田淵幸一という男の人間対人間の勝負なんだ。つまりは人間力のある方が勝つ。」と激励する。
分からないけど、島岡監督と野村監督のいう人間力は種類が違うと思う。

●試合に敗れて①
先発投手であった星野仙一と共にパンツ1一枚で雨中のグラウンドに正座し続ける。
しかも、星野仙一と共に朝までグラウンドで座る。

●試合に敗れて②
早稲田に1-5で敗戦後、試合に出場していない学生服姿の控え選手4年生13人に「納得の行くまでレギュラーを殴れ」と命じ、下級生レギュラーだった秋山、土井らを本気で殴らせる。
明大野球部出身の野球評論家によると、この鉄拳制裁が逆転優勝につながったとあるが、マジ?

●試合に敗れて③
春のリーグ戦、法政大1回戦で負けた夜に部員30人を合宿所に集め、いきなり小刀を畳に突き刺し「これで全員、切腹しろ」と言う。
この時のキャプテンは平田満男で、「次の試合は勝ちますので命だけは・・・」と土下座して謝ったとか。
完全事件ですね。

●この人には何をしてもかなわない
星野は大学時代にトイレの掃除を一度だけサボった事があり、島岡がそれを知ると星野をトイレに連れていき、星野を説教しながら島岡自らトイレの掃除を行った後「こんだけきれいにせんと掃除したとは言わせん」と便器を舐め、それを見ていた星野は「この人には何をしてもかなわない」としてひたすら謝罪する。
もーね、人間力が違います。。。

●星野監督の出身学部・学科
「明治大学野球学部島岡学科」
「明治大学野球学部投手学科」

●エラーをした平田勝男に
早明戦でエラーした平田勝男に試合後、合宿所にて「パンツ一枚になって、グラウンドの神様に謝ってこい」と命じる。
平田は指示通り夜間1人で練習グラウンドの遊撃手の守備位置に本塁方向に向かって正座し、「グラウンドの神様、申し訳ありません」と何回となく謝罪し、1時間して戻ってきた。
だが島岡は許さず「本当に謝る気があったら人間涙がこぼれる。その顔でひれ伏したら涙の流れたところに砂がつく。お前の顔は湯上がりのようにきれいだ。」と理由を述べ、もう一度行けと命じた。
むちゃくちゃです。。。

●ウンつき便所事件
合宿所明和寮に新設されたくみ取り式便所を「10月8日より使用を許可する」と伝達したにも関わらず、「ウン開きに仏滅は無いだろう。1日伸ばせ」とマネージャーに電話で変更を通達する。
これを知らなかった4年生のある部員が8日朝8時に大便をしているのを(自身が小便をしている際に)発見しドア越しに「すぐ食堂に来い」と命じ、理由の説明もなく27発殴った。
この部員はくみ取り便所のクソツボに自ら入って、雑巾がけまでして謝罪した。
もーね、エピソードの次元が違う。。。

●投げ込み練習
監督として初優勝をもたらした絶対的エース、秋山登には1日1000球の投げ込みを命じていた。
マネージャーに1球ずつカウントさせ、相手捕手を3度交代させつつ、6時間かけ1000球投じていた。
「貴様ら若い者が1日200球で肩が痛いの、重いのと理屈を並べて恥ずかしいとは思わないのか」と、顔面を5発10発殴る事もあった。
暴力を振るうことも、恥ずべき行為だと思うけど。。。

●追放処分
2年生部員が、合宿玄関で交際女性と電話していたのを、便意を催して駆け込んできた島岡が発見し、「この野郎、授業はどうしたんだ。女と真っ昼間から電話なんかしやがって」と2年生部員の顔面を5発、10発、15発と殴り、便所を挟んで「授業より若い娘のほうが大事なのか」と怒鳴り、殴られて頭がぼうっとしてしゃがみ込んでいたところを、さらに5、6発張り飛ばした上、「出ていけ、合宿所を出ていけ」と合宿所から追放する。

●教え子である広沢克己のコメント
「いまも島岡監督の写真を見ると、背筋がピンとなります」
「いまでも毎年、お墓参りは欠かしません。感謝しかないんです」
「あの4年間がないといまの自分はないと思う。でも、絶対に明大時代には戻りたくない(笑)」

●島岡問題
島岡の明大監督就任騒動は島岡問題として社会的波紋を呼び、「島岡の鉄拳教育は真の教育とは思えない」と文部省に投書が届いたこともあり、明治中-明治高-明治大を通じて島岡の教え子だった美山誠(旧姓片岡誠)が文部省に呼び出され聴取を受ける。
普段無口な美山は「あの人は筋の曲がった場合は殴るが、まじめにやっている限り、絶対に手を挙げない」と大演説を行い、文部省を納得させたという。
なるほど、文部省、納得と。

●打倒早慶の精神
日頃から打倒早慶を口癖のようにしており、合宿所のスリッパにまで「早稲田」「慶應」あるいはその主力打者の名を書き、自らだけでなく選手にも履かせて踏むよう命じていたという。
いわゆる踏み絵みたいなもんでしょうか。。。

●学生運動を見て
星野によると、右翼思想の持ち主であったという。
安保反対の学生運動が盛んな頃、島岡と星野は一緒に車に乗っていたが、ピケを張りデモに参加している学生を見て、島岡は当時主将だった星野に「おい星野、あの連中は赤か?」と聞いた。
星野が「そのようですね」と返事すると、島岡は「連中をぶっとばしてこい」と命じた。
星野は見ず知らず、しかもこちらに対して悪意のない連中を殴るのはと内心ためらったものの、「御大の命令とあらば、たとえ火の中、水の中」とばかりに殴りかかったという。

●さっぱりした性格
選手が何だかわけもわからず殴られて悔しい気持ちで部屋で沈んでいると、ついさっき自分が体罰をしたことをケロリと忘れて、「どうだい元気かい? 」なんて言いながらお菓子をもって部屋にニコニコ遊びにくるような、本当にさっぱりした性格の監督でした、らしい。

今回はこの辺で。

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