方丈記に、似た運命

— 懐かしい古典が、今、蘇る —

発心集~蓮花城、入水の事


今回は、鴨長明の作品「発心集」について。

発心集。
正直、僕は知らなかった。
少なくとも、学生時代に習った記憶はない。
ただ、ネットを見ていると、学生と思われる方が、発心集について色々と質問をしている。
どうやら、授業や試験で出るらしい。

僕の場合だと、「方丈記」は習った。
でも、「発心集」は習っていない。
最近の子は、色々と勉強することが多いのか。
それとも、理系・文系のコースによって違うのか。

この発心集だけど、方丈記と同様に難しい作品だと思う。
そもそも「発心」のための話を書いた本。
しかも、中学生や高校生に「発心」なんて言っても、分かるはずがないと思う。
ふだん「発心」なんて使わないし。

発心というのは、悟りを得ようと心を起こすこと、仏道に入ること、そういう意味。
例えば、四国にはお遍路というのがある。
四国遍路なんて言ったりもするけど。
これは、弘法大師(空海)にゆかりのある寺院をたずねて巡礼をすること。
お遍路参りのスタートは徳島県からだけど、その徳島県は「発心国」とか「発心の道場」とか言われている。

長明さん、晩年は出家をして仏道に入っている。
おそらく、出家者の立場で、「あー、これは面白いな」と思えるネタを集めたのだろう。
そして、人生に迷う者に対して、生きるヒントになるようなものを書きたかったのではないか。

この発心集だけど、後の作品に大きな影響を与えたと伝わる。
Wikipedhiaによると、太平記、徒然草にも影響を与えたとある。
しかも、この発心集、教科書みたいな作品ではないらしい。
コトバンクによると、次のように書かれてある。

高僧や名僧という評判がたつのを嫌って、突如失踪(しっそう)、渡し守に身をやつしていた玄賓僧都(げんぴんそうず)、奇行に及び、「狂人」との噂(うわさ)を意識的に広めた僧賀上人(そうがしょうにん)など、純粋な宗教家たちの話。
あるいはその逆に入水(じゅすい)往生すると触れ回るものの、投身の直前、現世への未練をおこしたため、往生に失敗した僧など、未練、執着といったものの怖(おそ)ろしさを述べる話。
さらには、和歌や音楽に心を澄まし、俗世を忘れた人々の話などを中心に約100余の話を載せる。
各話には、比較的長い鴨長明の感想が付け加えられており、惑いやすい人間の心、乱れやすい人間の心を凝視している。

これを読むと、僕などは、方丈記と重なってしまう。
方丈記も、出だしは悟りを開いたような文章を書いている。
でも、読んでいくうちに、どうも作者の迷いを強く感じてしまう。
しかも、作品の終わり方は、これ以上ないというぐらいの中途半端。
あの感覚ではないだろうか。
仏教者が書いた本にしては、「迷いまくりだなー」っていう感じ。

ただ、これが長明さんのスタイルなんだと思う。
しかも、他の人が真似できないスタイル。
方丈記にしても、発心集にしても、悟りの境地じゃなくて迷いの境地を書くというあべこべ感。
完全に逆なのね。
もっともらしいことを書きながらも、それを実行するのはとても難しいことが書かれてある。
覚悟を決めながらも、それでも揺れ動く心。
覚悟を決めたら迷いが消えるなんてウソだから。
でも、これこそが生きるということだし、本当にいいのだと思う。

だいたい、授業で習う古典なんて、本当に教科書みたいな作品しか出てこないし、教科書みたいな部分しか読まない。
そんなのいくら読んでも、全くどこにも刺さらないって。
ていうか、意味ないだろっ。
むしろ、方丈記みたいに、迷いの世界の作品を読んだ方が、どれだけ勇気づけられるか。
もちろんだけど、方丈記の出だしだけ読んで、「方丈記?うん、読んだことあるよ」っていうのもダメだから。

それで、ここでは、発心集の中から、一つ話を書きます。
それは、「蓮花城、入水の事」。
古典だけど面白い話。
人間の心をうまく捉えているというか。。。

ちなみに、僕の適当な訳でごめんなさい。

昔、蓮花城という聖人がいた。
この蓮花城には、登蓮法師という友がいた。
それで、登蓮法師は蓮花城の面倒を色々と見ていた。
分からないけど、蓮花城はだいぶ歳がいっていたのかなー。
で、ある日、蓮花城が登蓮法師に言うのね。

最近、歳を取るにつれて体が弱ってきました。
死期が近いのは間違いないであろう。
それで、最期は、仏として死にたいと思うので、心が澄んでいる時に入水自殺をしようと思う。

みなさんね、いきなりこんなことを言われたらどう思いますか?
驚きますよね?
とりあえず、「まーまー、ちょっと待ちなさい」ってなりませんか?

でね、登蓮法師も当然驚いた。
あなたの志は分かりました。
でも、そんなことをしたって、私はいいことだと思わない。
そもそも、自殺なんていいことじゃないですって。
仏様もそれを喜ぶとは思えないですよ。

ところが、蓮花城の決意は固かった。
それで、最終的に、登蓮法師も説得をあきらめると、蓮花城の入水自殺に手を貸すことになる。
「そこまで、言われるなら、あなたの立派な最期のために、私も協力しましょう」と。
まー、今なら、自殺ほう助とかになるんじゃないのかなー。

で、ついに、蓮花城が入水自殺をする日が来た。
場所は桂川。
念仏が唱えられて、少し時間が経つと、蓮花城は水の底へと沈んでいった。
その日は、大勢の人が市場のように集まっていた。
集まった人たちは、みんなその死を悲しんでいる。
登蓮法師も、蓮花城を失った悲しみのあまり、泣きながら家に帰った。

それから、何日かして、登蓮法師は病気になった。
で、寝込んでいたら、突然、霊が現れる。
びっくりして、よーく見たら、蓮花城の霊だった。

で、登蓮法師は、驚きながら聞いたのね。
一体、どうしたんですか?
仏としてお亡くなりになったはずですが。
とにかく、ここに来たわけをお聞かせください。

すると、蓮花城の霊が言うには、

私は、あなたが入水自殺を止めて下さったにもかかわらず、とんでもない死に方をしてしまった。
実は、私、死のうとした時に、後悔が出てしまった。
で、死にたくないと思った。
ところが、あれほど大勢の人間がいたので、もはや引き返すこともできない。
で、私は、あなたに、「入水自殺を止めてください」と目で合図したのに、あなたは気が付かなかった。
「はやく、はやく」とあなたに言われて、あなたのことを恨んで死んでしまった。
これでは、極楽往生するつもりが、全くあべこべになってしまった。
あなたに、こんなことを言っても仕方のないことだが。。。

なんだろう、教科書の古典と比べたら、よほど面白い。
しかも、自分の決意は固いとか思いながらも、実際にその場になったら、怖じ気づくことってないですか。
やっぱり無理ーみたいな
結局、人間は、覚悟を決めたり決断をしたとしても、迷いから解放されることはないということなんだと思う。
もっと言えば、迷いを断ち切ることが悟りではなく、迷いながら生きることが悟りなのかもしれない。
一見、間抜けな話に聞こえなくもないけど、深く考えさせられる話だと思う。

今回はこの辺で。

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