方丈記に、似た運命

— 懐かしい古典が、今、蘇る —

ママ友を作る難しさ③

※毎回書きますが、ママ友は便宜上の書き方です。

 僕にとってママ友は、単なるご近所さんです。

すでにママ友を作る難しさについては書いてきました。

前回、ママ友ができない場合に、前のめりになってママ友を作ろうとするのではなくて、一歩引いてみてママ友を作るのも良いのではないかという話を書きました。

これは、決して、自分にはママ友ができなくてもいいとあきらめることではないんです。

「ママ友を作るという」一点突破型の意識を捨てて、なりゆきに任せてみるとか全てを委ねるとか、ママ友がいないことを上手に物語るとか、そういう別の方向に意識を向けることで、全く思いがけない形でママ友ができることもあるんじゃないでしょうかというお話です。

つまり、意識を広げるということです。

例えば、ママ友に話しかけられた時も、礼儀として丁寧に話を返すことが多いと思います。

実際、僕もそうです。

しかし、真面目な会話からは、なかなか真面目な会話しか生まれません。

だから、会話なんかでも思いがけない展開があると面白いように思います。

変な返しをしてそこから話が盛り上がることもあると思います。

もちろん、完全に空振りに終わる場合もあるわけですが。

ただ、ママ友だけではないのですが、何かうまくいかない時にヒントになることは、意外と身近にあるかもしれませんし、思いがけない展開でやってくることもあるのではないかということです。

それで、ママ友について考えてみると、ほとんど全てのママがママ友のことを意識しています。

  • ママ友がいるとかいないとか
  • ママ友ができたとかできないとか
  • ママ友には関心があるとかないとか

と、まー、色んな形でママ友のことを意識しています。

ママ友に関心がないと言っても、関心がゼロということはありません。

つまり、多くのママたちがママ友についてあーだこーだ言うのは、心の中にママ友の意識があるからです。

もっと言えば、子どもを持つ親として、あるいは特に母親として、ママ友を無視できないのだと思います。

それで、ママ友がいないよりかはいた方が良いというわけで、ママ友と仲良くなろうとするわけですが、これが難しんです。

僕も、そのことはよーく分かりました。

以前書きましたが、子どもなら「なーなー、遊ぼ」ですんなり仲良くできても、大人の場合、初対面の人に「なーなー、遊ぼ」は通用されません。

また、会社の中では良好な関係を築けるママでも、いざ他のママに対して良好な関係を築けるかと言われたら、案外そうでもないんです。

つまり、会社の中では仕事の完成というはっきりした目的があるので、自分の仕事もはっきりするし、会社の中の会話だって仕事的な口調の会話で済むわけです。

必然的に仕事の会話だけで済みます。

しかし、ママ友との関係は、いまいち目的がはっきりしない。

例えば、子どもたちのためといっても、会社の場合の仕事の完成という目的からするとどこかはっきりしていないように思います。

しかも、目的が不明瞭なまま、何となく会話をしないといけないわけです。

これなんかは、苦手な人にはストレスだと思います。

最近だと、「ママ友の作り方」をテーマにしたサイトもいくつかあります。

このサイトも似たようなものですが。

で、そういったサイトを読んでみると、こうしたらママ友が作れますなんて書いてある。

例えば、こういうことが書かれてある。

  • 会う回数を増やす。
  • 笑顔で挨拶をする。
  • 質問をする。
  • イベントに参加する。
  • 子どもたちとも仲良くする。

ママ友を作る上でこれらはすごく大事なことだとは思います。

ただ、ママ友ができないと悩んでいるママって、だいたいこれぐらいことは分かっているんじゃないでしょうか。

分かった上でママ友ができないから困っているんじゃないでしょうか。

例えば、「笑顔で挨拶をする」というのがあります。

笑顔で挨拶することは人間関係では大切なことです。

しかし、笑顔で挨拶をすれば必ずママ友ができるのかと言うとそうではないと思います。

逆に言うと、笑顔で挨拶をしたからといって必ずママ友ができるのものではない、ということをママたちは知っています。

もちろん、僕も知っていますが。

そういう意味では、ここに書いたことは、やらないよりはやったほうが良いというぐらい話で、絶対的な話ではないというのは分かると思います。

あるいは、言い方を変えるなら、ここに書いてあることはママ友を作る上で重要なことではあるが、効果が出るには時間がかかるともいえるかもしれません。

つまり、即効性に欠けるわけです。

例えば、「笑顔で挨拶をした」とたんにママ友になれるなら、そんな簡単な話はないわけです。

まさに微笑みビームを周囲に投げかけたとたんに、全員とママ友になれるならこんな楽なことはないですよ。

その意味では、ママ友を作るのにはある程度時間がかかるということを予め覚悟しておく必要もあるでしょう。

とは言いながらも、早くママ友が欲しいなと思うのも分かりますね。

もしかしたら、ちょっとした工夫があるとママ友が早くできる場合もあるんじゃないでしょうか。

僕も、具体的に工夫の具体例を知っているわけではありませんが。

工夫があると良いなんて書いておきながら申し訳ないですが。

しかし、料理なんかだとちょっと隠し味入れたり、ちょっとひと手間の工夫があると味が良くなりますね。

あれに近いものがあるように思います。

ちなみに、僕の妻は隠し味が隠れてなかったり、目分量がすげえー量だったりしますが。

僕の妻だけでしょうか?

話を戻して、工夫だとかプラスアルファとか、イレギュラーとか、こういうのがあるとスムーズだったり、思いがけない展開に話が転んで、一気に相手との距離を詰めることができるんじゃないでしょうか。

ママ友を作るのが難しいのは、今まで書いた通りです。

そして、その中でママたちは、ママ友を作ろうと努力しています。

別にたくさんいる必要はないですが、一人か二人いるとうれしいものです。

また、いないからといって困ることもありません。

それで、中には、努力すればママ友ができると思っている人もいるんじゃないでしょうか。

ママ友を作るためにちょっと頑張ってみようとか、ちょっと努力してみようというママ。

確かに、ママ友を作るために努力をするというのはすごいことだと思います。

どのママも多かれ少なかれ努力していると思うんです。

それについてとやかく言うことはできません。

もちろん、その努力を否定するのはもっての外でしょう。

ただ、そこには落とし穴があるかもしれませんよ。

それは、「努力すれば何とかなる」という発想。

例えばですね、小さい子どもが鉄棒ができなくて練習をする。

そして、逆上がりができるようになる。

これなんかは努力以外の何ものでもないですよ。

しかし、ママ友を作るとか、ママ友と良好な関係を維持することに対して、鉄棒の時のように「努力すれば何とかなる」というのをそのまま適用していいでしょうか。

そのまま適用するにはちょっと難しいんじゃないでしょうか。

あるいは、ママ友のことに関して「努力すれば何とかなる」というのは、「工夫をすれば何とかなる」と言い換えても良いかもしれません。

あるいは、努力の中に工夫が含まれていることが大切のようにも思います。

つまり、努力は大切なんですが、単に努力一本やりでは難しいのではないでしょうか。

つまり、努力をしたという場合、同じことを繰り返したり、発想がずーっと同じ場合があるのですが、これではムダに屍を重ねるだけで、努力が空回りしているように思います。

それよりも、もっと発想の転換、発想の豊かさ、発想の柔軟さとか、頭も心も色々と動かしてみる、こういう努力も必要かもしれません。

以前も書きましたが、自分の力は大したことないと思って全てを委ねるとか、現状、ママ友がいなくてもまだ自分には必要がないとか、ママ友がいないおかげで無用なトラブルを回避できているとか、そういう発想もあって良いのではないでしょうか。

だいたい、何かが進展する時は、思いがけないことがきっかけの場合があります。

少なくとも、そのきっかけを見逃さないぐらいには頭も心も動かしたり、余裕があるといいんじゃないでしょうか。

また、自分は一生懸命頑張ったのにママ友ができなかったとなると、これだけ頑張って努力した自分は何ら問題がなく、ママ友ができなかったのは周囲が悪いと誰かのせいにすることもあるかもしれません。

あるいは、だからママ友なんかいなくても問題ないとか、そういう発想をしてしまうこともあるんじゃないでしょうか。

つまり、必要以上にママ友を悪と決めつけてしまう危険があります。

こう言いたくなるも分からなくはないですが、あまり良い考えとは言えないように思います。

場合によっては、ママ友がいないことを悩んでしまって、それ以外の部分にまで悪い影響が出る場合もあるかもしれません。

いわば、悩みの二次災害みたいなもんです。

別に、ママ友がいなくても問題はありませんし、また、ママ友がいないことを悩むことも問題はありません。

この辺もよっとだけ押さえておくと心が軽くなるんじゃないでしょうか。

あくまでも、僕の場合はですが。

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