方丈記に、似た運命

— 懐かしい古典が、今、蘇る —

父・長継の死と斜陽①


今回は、父・長継の死について。

長明さんの父・長継は、34歳の若さで亡くなっている。
平安時代の寿命が40歳と聞いたことがあるので、仮にそうだとしても少し早いだろうか。
ちなみに、その時、長明さんは18歳だった。

ただ、これ、本当なのだろうか。
だって、これだと長明さんは、父・長継が16歳の時の子どもとなってしまう。
いや、なくはないけど。
ただ、これが事実だと、兄・長守は、父・長継が何歳のときの子どもなのか?
それとも、長守は、本当は弟なのか。
まー、昔の話だから、年齢には多少前後があるのかもしれないけど。

それで、父・長継が亡くなった時、長明さんは、かなりショックを受けたみたい。
悲しみのあまりご飯ものどを通らない。
下鴨神社の仕事もどうでもよくなる。
人との付き合いもなくなり、部屋に引きこもってばかりとなる。
テキトーに書いたけど、こんな感じだったかもしれない。

長明さん、父・長継が亡くなった時に、次のような和歌を詠んでいる。

【原文】
住みわびぬ いざさは超えん 死出の山 さてだに親の 跡を踏むべく(鴨長明集)

【訳】
父のいないこの世には、生きていく場所がなくなった。
死にたい。
死なせてくれ。
死ぬことでこそ、父の跡を継ぐことができるのだ。

これ、どう思いますか?
ここまで思い詰めるものなのか?
確かに、ショックだとは思うけど。
悲観とか自殺願望が激しすぎるよ。

いや、僕もね、20代で父を亡くしたのね。
で、正直、辛かった。
でも、ここまで悲観することはなかった。
ましてや死にたいと思った事なんて、ただの一度もなかったよ。

ただ、長明さんの立場、当時の出世の仕組みからすると、長明さんは、お父さんが亡くなったことで、自分の人生が詰んだと思ったに違いない。
源家長日記では、長明さんのことを「みなしご」と書いてある。
おそらく、当時の人々も、長明さんのことを孤児だと認識していたのだろう。
当時と今では、「みなしご」の意味合いが違うかもしれないけど。。。

全然、話が変わるけど、昔、小公女セーラというアニメがあった。
主人公のセーラはのお父さんは、インドに鉱山を持つ大金持ちだった。
そして、名門のミンチン女学院で勉強をする。
で、そこの院長もセーラが大金持ちの子女ということで、特待生として大切にしてくれる。

ところが、ある日、セーラのお父さんが破産をして、そのまま亡くなるという知らせが届く。
すると、院長の態度は急変して、セーラをミンチン女学院の召使にしてしまった。
そして、セーラは、毎日、院長とかクラスのいじめっ子たちから虐められた。

分からないけど、平安時代に父を失うと、こういう状況が待っていたのかもしれない。
長明さんは、神職の道を閉ざされただけでなく、これから先の人生をどう生きていったらいいか、分からなかったかもしれない。
父を失ったショックもあっただろうけど、自分の将来が真っ暗になったことへの恐怖や落胆もあったのではないか。
ひと言で言えば、絶望だろうか。
さよなら、絶望先生。(←すみません。。。)

この和歌には、そういった悲しみ、落胆、絶望が込められているように思う。
長明さんは、激情型の人間だったらしいけど、この和歌を詠むと、それを垣間見るような気がする。

ところで、長明さんに近い人物で、鴨輔光という者がいた。
この者、父・長継の部下で、長継に目をかけられていたらしい。
で、さっきの長明さんの和歌を見て、次のような和歌を詠む。

【原文】
すみわびて いそぎな超えそ 死出の山 この世に親の 跡もこそ踏め(鴨長明集)

【訳】
生きていく場所がないからといって、死に急いではいけない。
生きてこそ父の跡を継ぐことができるのだから。

勝手な想像で書くけど、鴨輔光は、本気で長明さんのことを心配したと思うのね。
かつて自分が仕えた長継様の子に、親と同じ道を歩ませてやりたい。
今こそ、長継様の恩顧に報いる時である。
そんなことを思ったんじゃないだろうか。

とにかく、死んではいけない。
どんなに辛くても、置かれたところで咲きなさい。
生きていれば、必ず、親の跡を継ぐことができる。

こう言いたかったんだと思うのね。

ところが、これに対して、長明さんが返した和歌がこれだった。

【原文】
情けあらば 我まどはすな 君のみぞ 親の跡踏む 道は知るらん(鴨長明集)

【訳】
自分のことを思ってくれるなら、そんなこと(そんな慰め)は言わないでくれ。
あなただけが父の跡を継ぐということがどういうことなのか知っているはずなのだから。

長明さん、せっかくの忠告に対して「そんなこと言わないでくれ」って返事している。
ふつーなら、「ありがとう。もう少し頑張ってみるわ」とかって言うんじゃないの?
長明さんからすると、「父を亡くした今、自分が父の跡を継げないことはあなたもよくご存じのはずでしょう?それとも、これでもまだ父の跡を継げる方法があるとでもいうのか?」
という思いだったのでしょう。
そして、父の跡を継ぐ方法は「父の後を追って死ぬしかない」ということしか、長明さんの頭の中にはなかったのだろう。
まー、どうかと思うけど。。。

僕なんかは、鴨輔光がせっかく忠告してくれたんだから、少しは前向きになれよ、などと思ったりするけど。
長明さんは、どうもそうはならなかった。

昔、三国志で、劉備玄徳に次のようなセリフがあった。

「竜が沼の淵に潜むのは何のため。時期を待ち天に昇らんが為であろう」

これだよ、これ。
長明さん、三国志読んだ?
でも、このセリフは、横山光輝の三国志だから、長明さんは絶対に読めなかったか。。。
でも、かなえたい夢があるなら、どんなに苦しくても生きなければダメだって。

僕のなんか、大学受験も失敗した。
就職活動も失敗した。
最終的に就職したけど、その会社も辞めた。
今、主夫をしている。
そして、いつも悩んでいる。
でも、死にたいと思ったことはないかなー。
ただ、消えたいと思ったり、大地震が起きて全てが破壊されたらいなーって思いながら生きてるけど。

僕も長明さんとそんなに大差ないかな(笑)

今回はこの辺で。

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