方丈記に、似た運命

— 懐かしい古典が、今、蘇る —

園川一美~開幕投手の格


今回は、園川一美さんについて。

●13失点で先発完投負け
1987年9月2日の南海との18回戦で達成。
13失点で先発完投負けはパリーグ記録とのこと。
この試合、ロッテはエラーを4つ出していたため、「これでは誰が投げても同じ」との監督の判断から、最後まで投手交代が行われることなく、園川さんが最後まで投げ切る。
なお、次の登板ではプロ初完封を達成している。

●12失点完投負けオリ中山にうれしい知らせ
オリックスの投手だった中山慎也が12失点で完投負けをした時、ロッテのエースだった園川一美から激励のメッセージを受けた時のスポーツ新聞のコメント。
ちなみに、園川一美さんの激励内容は「オレは次の試合で完封した。だからおまえも」だった。(詳細は前のネタ参照)
ちなみに、中山慎也さん、その後の2試合でも大炎上をすると、そのまま二軍落ちしてしまう。
実際のところ、そこまでうれしい知らせとはならなかった。

●伊良部じゃないのか?ウチもなめられたものだ。開幕投手には格というものがあるだろう!
1996年に開幕投手を務めた際に、相手チーム(ダイエー)の王監督のコメント。
ちなみに、これに対する園川さんのコメントは「仕方がない、俺だってそう思う。開き直ってやったよ」
ちなみに、当時、ロッテの広岡GMのコメントは「私が相手監督でも起りますよ」
前年、ダイエーはロッテに対して5勝21敗と大敗をしていたことから、開幕戦には並々ならぬ覚悟で臨んでいたとか。
しかも、最後の10試合は、ダイエーの10連敗で終了している。
当時のロッテは、伊良部、ヒルマン、小宮山と三本柱がいたために、ダイエーはこの3人を予想していたにもかかわらず、まさかの園川。
この時、伊良部がけがをしていたため、ロッテとしても園川の開幕投手は苦肉の策だったらしい。
ちなみに、この年の園川さんの成績は0勝7敗だった。
「園川=格がない」と語り継がれる原因となったコメント。

●高木球審辞職事件
園川のボーク判定を巡って、金田監督が高木敏昭球審に猛抗議した事件が、高木球審の辞職にまで発展した事件。
高木球審に暴言・暴行をはたらき金田監督は退場処分となるも、その後も自己正当性を主張し、審判が下手くそだと発言。
最終的に、高木球審が「こんな人間がいるところで審判ができるか!」とシーズン途中で辞表を提出した事件。
この一件で、金田監督は1か月の謹慎処分となる。
それで、その処分が下された日に、金田監督は全選手を集めると「今回の一件に関して・・・」と話を切り出したために、選手全員が「監督不在になることを申し訳ない」と謝るのかと思っていたところ、
「殿堂入りのこのワシに、二度とこんなことをさせるな!」
「今回の一件で誰が悪いって、園川、お前が一番悪い!」
園川さんが一番悪かったらしい。

●規定投球回数に達して防御率6点台
1989年に達成したプロ野球史上2度目の珍記録。
防御率が6点台なのに、奪三振率はリーグ1位。
すごいのかすごくないのかが分からない。
ちなみに、この年の成績は7勝12敗1セーブ。
ちなみに、この年の防御率リーグ1位は同僚の村田兆治の2.50。
但し、この時の村田兆治も7勝9敗なので、成績的には園川と大差なしか。

●川崎バッティングセンター1号機
打たれる美学というピッチングスタイルを貫いたことでついたあだ名。
同時に抑える美学も持っていた。
実際は、打たれる⇒打たれる⇒三振⇒打たれる⇒打たれる⇒打たれる⇒三振という感じだろうか。
一部の熱狂的なファン(園キチ)からは「園様」とも呼ばれる。

●なんでこの僕が2位指名なんですか!?
ドラフトで2位指名された時のコメント。
ちなみに、この年のロッテのドラフト1位は高卒の石田雅彦だったことから、高卒に負けたことが悔しかったと思われる。
園川さん、九州学院から日体大とプロ野球選手としてエリート街道を歩んでいた。
大学時代の成績も申し分なく(学業の方じゃないです)、ノーヒットノーランも記録している。
日米大学野球ではMVPに選ばれている。
最終的に、「石田雅彦よりも契約金を高くする」と言われてロッテに入団。

●12日間放置プレイ事件
ドラフト2位指名をしたことで機嫌を損ねさせてしまい、さらに、入団拒否も辞さないと覚悟を決めていた園川に対して冷却期間が必要と考えたロッテがとった作戦。

●渋谷ハチ公前事件
12日間放置プレイ事件の後、ロッテが園川と入団交渉をするために会うことになったが、その待ち合わせとなった場所。
なんで渋谷ハチ公前?

●1988年にプロ入り初の二けた勝利を挙げた時のコメント。
「これだけ投げれば嫌でも2ケタ行くよ。」
ちなみに、この年の園川さんの成績は、33登板、29先発の10勝15敗でリーグ最多敗戦を記録している。

●別に、僕1人で200本打たれたわけじゃないですし。
1994年、プロ野球で初めてイチローが200安打を達成した時に、ちょうどその200本目を打たれた時の園川さんのコメント。
イチローがセカンドベース上で「祝200安打」のプラカートを掲げていた時に、マウンドに立っていたのが園川。
ちなみに、この年のイチローと園川さんの対戦成績は、18打数13安打、打率7割2分。
13本ヒットを打たれただけで、決してカモられていたわけではない。

●怪奇現象~なぜか負けなかった園川
1998年、プロ野球ワースト記録となる18連敗を喫したロッテ。
この間、先発、中継ぎ、抑えを問わず、当時のロッテの主力級のピッチャーが敗戦投手となっている。
そして、園川も中継ぎで8試合登板しているが、なぜか勝敗はついていない。
但し、決して失点がなかったわけではない。
ちなみに、その間の敗戦投手の内訳は次のとおり。

投手名 敗戦数   投手名   敗戦数
――――――――――――――――――――――
小宮山悟  3   クロフォード  2
竹清剛治  3   礒恒之     2
黒木知宏  2   武藤潤一郎   1
薮田安彦  2   近藤芳久    1
藤田宗一  2

●巨人だったら10年前にクビになっていた。
引退時にスポーツライターから言われたコメント。
そもそも、巨人は取らないだろうけど。

●近鉄の優勝がかかった10・19の第2戦で先発した時のコメント。
「"ザマアミロ"って感じがありましたね。勝っても負けてもどうせ"憎まれ役"だってことは解ってましたから」
「優勝が決まる試合だろうが、そうでなかろうが、同じようにやってるんです」

※10・19。
プロ野球史上最高の試合とも呼ばれるダブルヘッダー。
近鉄が2連勝すれば優勝という状況で、1試合目は近鉄が勝ち、泣いても笑っても最後の最後という状況でロッテの先発を任されたのが園川。(なぜ?)
7回2/3を3失点で切り抜け、勝ち負けはつかずという園川らしい投球でマウンドを降りると、試合自体も4-4の引き分けとなり、近鉄は首位西武とゲーム差なしの2位でシーズンを終了。

●乗車拒否事件
現役引退後のロッテのスコアラー時代に、バスに乗ろうとして大きなバッグを持っていたせいか乗車拒否される。
真偽のほどは不明。

●力が衰えた
現役引退時のコメント。
普段から力の衰えを感じさせるピッチングであったため、誰も園川の力の衰えを感じていなかったとか。
むしろ円熟味が増し、磨きがかかってきたと来シーズンに期待するファンも多かったと伝え聞く。

●引退試合後にも登板
すでに引退表明をし、引退試合も行っていたにもかかわらず、引退試合の6日後に敗戦処理で登板。

●ジム・トレーバー乱闘事件
珍プレー・好プレーに必ずというぐらい出てくる有名な乱闘事件。
園川が近鉄のジム・トレーバーにデッドボールをぶつけてしまい、怒ったトレーバーが園川追いかけまわして、センターあたりで園川を捕まえて暴行をしたという事件。
その後、当時のロッテの監督だった金田正一がグラウンドに出て行き、トレーバーの顔面に蹴りを入れて乱闘事件は終了。
トレーバーは退場処分となるも、園川、金田監督にはお咎めなし。

今回はこの辺で。

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