方丈記に、似た運命

— 懐かしい古典が、今、蘇る —

宇喜多直家~趣味は暗殺、特技は裏切り


◆天翔記による能力値(政治・戦闘・智謀は200がMAX。魅力・野望は100がMAX。)

政治 186
戦闘 148
智謀 192
魅力  84
野望  92

宇喜多直家と言えば、下克上の代表のような武将。
僕の中では、極悪人のイメージ。
で、昔から、斎藤道三、松永久秀、宇喜多直家の三人は「戦国三大梟雄」なんて呼ばれたりする。

梟雄。
これ、「きょうゆう」と読む。
意味は、残忍で、強くて、荒々しいこと。
かっこよく言えば、ダークヒーローか。
まー、確かに、宇喜多直家はダークヒーローかもしれない。
少なくともヒーローのカテゴリーには入らないはず。

また、中国地方の三大謀将と言えば、毛利元就、尼子経久、宇喜多直家。
ここでもまた、直家の名前が出てきた。
でも・・・
毛利元就、尼子経久 ⇒ 智謀の限りを尽くして大大名になったイメージ
宇喜多直家     ⇒ 暗殺の限りを尽くして大名になったイメージ

うーん、この違いは何だろう?(笑)
いや、毛利元就、尼子経久だって暗殺はしているはずなのに。。。

ただ、この直家、能力値は高い。
戦闘はすこーし低いけど、政治、智謀はSランク。
実際、天翔記では、かなり使える武将だった。
しかも、軍団長に任命すると、まーまーの確率で謀反を起こされた。

というわけで、今回も、僕の独断と偏見で、宇喜多直家についてテキトーに書いていきます。

◆若い頃は苦労の連続
若い頃の直家の行動は、不明な点が多いらしい。
よく言われる説としては、次のようなものがある。

もともと、宇喜多家は、備前国(今の岡山県)の有力な豪族だった。
その宇喜多家は、備前国(今の岡山県)を治めていた浦上氏に仕えていた。
ところが、直家が3歳の時に祖父・能家が権力争いの波に巻き込まれる。
そして、祖父・能家は、同僚だった島村盛実によって暗殺される。

その後、直家は、父・興家とともに備前国(今の岡山県)を離れ各地を放浪する。
しかし、直家が8歳のとき、父・興家も病死してしまい、直家の足取りは一旦途絶える。
このあたり、詳細は不明だけど、少なくとも順風満帆ではなかったもよう。

◆何よりも暗殺が得意
直家、時期は不明だけど、浦上家に仕える。
で、この時点で、島村盛実は浦上家の重臣として活躍していた。
で、直家、謀反の疑いをかけて島村盛実を暗殺する。

1559年、初めての暗殺だった。
祖父を殺され、父も無念の病死を遂げたことから、復習の意味合いが強かったのかもしれない。
ただ、ここからが、直家の本領発揮となる。

直家、なんと、主君である浦上家を倒そうとする。
ところが、邪魔な人間が一人いた。
浦上家の重臣で、中山信正という者。
で、直家、これを暗殺した。

一応書くと、直家の奥さんは、この中山信正の娘。
ということは、直家は、義理のお父さんを殺したことになる。
うーん、身内でも関係なしか。。。

さらに、備前国(今の岡山県)の有力な豪族だった穝所職経。
穝所職経は手強かったが、美男子が好きだったため、直家、彼のもとに美男子を送り込む。
そして、穝所職経が油断したすきを見計らって、その美男子に彼を暗殺させる。

うーん、本当に暗殺が好きだな。。。
まー、穝所職経も、ちょっと間抜けのような感じもするけど。。。

こうして、直家は、邪魔する者を次々と暗殺して、浦上家の重臣としての地位を築いていく。
そして、備中国(今の岡山県)の有力な大名だった三村家親。
この三村氏は、かなり強かった。
正面から戦ってのでは、全く勝てなかった。

で、直家、ここで計略を用いた。
そう、暗殺。
スナイパーを雇うと、三村家親を鉄砲により暗殺する。

さらに、備前国(今の岡山県)の有力な豪族だった松田元賢。
この松田氏は、直家の主君・浦上家と、ずーっと争っていた。
しかし、直家が仲介役となって、松田氏と浦上家は仲直りをする。

ところが、ちょっとしたいざこざで、直家と松田元賢が対立をしてしまう。
で、直家、松田元賢の家臣を調略すると、一気に松田元賢を攻め滅ぼした。
一応書くと、松田元賢の妻は、直家の娘。
つまり、松田元賢は、義理の息子。
で、松田元賢が亡くなると、直家の娘も自害してしまう。
これって、ほとんど、自分の娘まで殺してしまったようなもんじゃないのか。。。

もう、なんと言って良いのか分からない。
敵にしても怖いけど、味方にしても怖い、そんな感じ。
で、最終的に、主君の浦上家も倒してしまう。
こうして、直家の下克上は完成する。

◆大大名に挟まれて
直家が備前国(今の岡山県)の統一をした頃。
中国地方を支配した毛利家と近畿地方を支配した織田家が、備前国(今の岡山県)あたりで戦争状態になっていた。
で、直家が、毛利家と織田家のどちらに付くのかは、毛利家と織田家の双方にとっても重大なことだった。
当初、毛利家と織田家の戦いは、毛利方の優勢で進んでいた。
で、直家、毛利家に味方する。

ただ、何か、何か事件が起きそうな予感がする。
で、実際に、事件が起きた。
もちろん、事件を起こしたのは直家。
直家、自分と同じように毛利家に味方した近隣の有力豪族の一人を「織田家に寝返ろうとした」として、言いがかりをつけて滅ぼしてしまった。
しかも、その五か月後には、直家自身が、毛利家から織田家に寝返ってしまう。

本当に、この直家という人には節操がないというか、どう言えばいいんでしょうね。。。
その後は、織田家に従属して、毛利家と争うことになる。
そして、1581年、ついに運命が尽きたのか、直家は52歳で病死する。
あ~、やっと死んでくれたか(笑)

最後に、少しだけフォロー。
直家、身内や周辺の有力な者は、遠慮なく殺していきましたが、自分の家臣は大事にしたそうです。
って言われているけど、僕が知らないだけで、裏ではもっと暗殺してたりして。。。

あと、直家の暗殺件数、実際は、少なかったんだとか。
後世の話として「あれは直家の暗殺だった」と言われているだけで、本当は、直家は関係なかったのもあるみたい。
だとしても、暗殺したのは間違いないけど。。。

今回はこの辺で。

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